このページと次のページの内容は北隆館の『アグリバイオ』誌2025年12月号「大型海藻によるカーボン・ニュートラルへの挑戦」に掲載された記事(p.47-51)に補筆したものです。同号にはこのほかに大型藻類を利用した炭素固定技術に関する最新の論考が数多く掲載されています。
海洋堆積物の炭素循環
海洋底は地球表層の炭素循環の終着地にあたり、海底堆積物中には膨大な量の炭素(有機炭素・炭酸塩)が貯留されています。海洋堆積物における炭素貯留は地球規模の気候の安定性と変遷に大きく関与しています(→参考)。しかし海洋底、特に深海底は直接アクセスすることが困難なため、海洋堆積物に貯留されている炭素の起源や輸送経路についてはかなり大雑把なことしか分かっていません。
海洋の表層堆積物に含まれる有機炭素の濃度は、大部分の海域では乾燥重量の0.5〜1%程度ですが、中には2%を超える高濃度の有機炭素が広域に分布している海域もあります(図2;文献1, 2)。

図2を見ると、大陸に近い海域の堆積物に有機炭素が多いことが分かります。このことから、海底堆積物中の有機物の大部分は、陸地から土砂とともに流入したものなのではないかと思われるかもしれません。しかし、現在の海洋学の知見では、そのようには考えられていません。堆積物に含まれる有機物の大半は、海洋の中に起源を有するものなのです。
この図に見られるような堆積物組成の地理的偏りは、海洋表層でのプランクトンの生産量の地理的分布と符合していることが知られています。栄養塩供給量の多い湧昇域や鉛直混合の活発な高緯度海域ではプランクトンの生産が高く、表層堆積物の有機炭素含量も高くなっています。また、表層堆積物の全有機炭素の炭素安定同位体比を調べると、大規模な河川の河口付近や閉鎖性海域では陸起源有機物に特徴的な値を示すことがあるものの、ほとんどの外洋域では–20‰前後の値で一定しており、これは堆積物中の有機物が海洋表層のプランクトンによって生産されたものであるという見解と矛盾しません。こうしたことから、海洋堆積物への炭素貯留を駆動しているのは海洋表層の植物プランクトンによる生産物を海底まで沈降させる「生物ポンプ」と呼ばれるメカニズムであると長らく信じられてきました。
しかし近年、環境中に残留している微量のDNA分子を抽出してその配列を決定する技術が確立され、それを海洋堆積物にも応用して詳しく調べてみたところ、海洋堆積物中には植物プランクトンだけでなくて、沿岸の極浅海域に生息する大型植物(海藻類,海草類,マングローブ等)のDNAが多量に含まれることが分かってきました(→参考)。しかもそれは、これらの大型植物の生息地に近い沿岸浅海域だけでなく、そこから何百kmも離れた大陸斜面から超深海の海溝部にまで及んでいることがわかっています。このことは、沿岸域に生息する大型植物による生産が海洋底における炭素貯留、ひいてはそれに連動する気候変動にまで影響を及ぼしうる可能性を示唆しています。
深海底まで到達する植物断片
私共はこれまで、東アジア近海域を対象に、海底堆積物から大型植物のDNAを検出する試みを行ってきました。その結果を概観すると、DNAが高頻度で検出される大型植物の種類には海域ごとに特徴があります(表1)。
表1:日本近海の外洋性堆積物からDNAが検出される主要な植物群。
| 海域 | 深度範囲(メートル) | DNAが検出された主要植物群 |
|---|---|---|
| 北海道南東沖(太平洋) | 20 – 8000 | スガモ > アマモ ≒ コンブ類 |
| 三陸北部沿岸(太平洋) | 50 – 900 | 温帯性ガラモ > アマモ ≒ コンブ類 > タチアマモ |
| トカラ列島周辺海域 (沖縄トラフ・太平洋) | 500 – 1200 | 温帯性ガラモ >> アオサ類 ≒ コンブ類 > 亜熱帯性ガラモ |
| 八重山諸島周辺海域 (東シナ海・太平洋) | 80 – 2000 | ヒルギ類 > 亜熱帯性海草類 > 温帯性ガラモ類 |
※ スガモは海草の一種だが岩礁性。ヒルギ類はマングローブのこと。北海道周辺に多く生育するウガノモクという海藻は、ここで使用した方法では検出されない。
このような特徴的な分布は、その海域の近傍に生息する大型植物の種類だけでなく、おもな生息地からその海域まで植物体を運ぶ輸送経路の存在をも反映しています。また植物の種類によって分解されやすさに大きな差があることが判明しています。例えば分解を受けやすいコンブ類のDNAはその現存量の多さの割には海底からは検出されにくい傾向がある一方で、分解耐性が高い維管束植物(アマモ,スガモ,ヒルギ等)のDNAは深海堆積物からでも比較的高頻度で検出されていました。
一例として、鹿児島県の屋久島と奄美大島の間にあたるトカラ列島近海の海底堆積物の場合を見てみます。ここでは、この地域にはほとんど生息しない温帯性ガラモ類(アカモク等のSargassum属の大型褐藻)に由来するDNA配列が広範囲から検出されています(図3)。

それに対して島々の沿岸に生育する海草類やヒルギ等の維管束植物のDNAはほとんど検出されませんでした(→関連文献)。これは他の海域では概して海藻類よりも維管束植物のDNAの方が検出され易い傾向にあることに比べると例外的な結果と見えますが、このようになった原因として、次のように解釈しています。アカモク等のガラモ類は藻体に数多くの気胞(浮き袋)を持っているため,藻体が波浪等で生息地から離脱した後,長期間にわたって流れ藻となって海面を浮遊するようになります。中国南部沿岸、特に長江河口付近にはアカモク類の大規模な生息地があり、毎年冬から春にかけて大量の流れ藻が発生して東シナ海を北上していることが報告されています(→関連文献)。トカラ列島近海の海底から検出されるガラモ類DNAは、こうした流れ藻の一部が黒潮により運ばれる途中で、枯死して断片化しつつ、浮力を失い沈降したものが起源となっていると考えられます。図3を見るとトカラ列島西方海域で特にDNA検出量が多くなっていますが(オレンジ色の部分)、これは黒潮の流路が東に屈曲する際に流路からはずれてしまった流れ藻が沈降して集積しているためと思われます。
最終更新日:2025年11月3日