深海への輸送のメカニズム
大型植物は、海岸の生息地からはるかに離れた深海の海底にまで、どのように運ばれているのでしょうか。
黒潮のような定常的な海流は、海岸の大型植物に由来する有機炭素を外洋域に運び、深海堆積物中に移行する場所を決める上で決定的な役割を果たしていると思われます。このような有機炭素は、海底への炭素貯留に貢献するだけでなく、海底に生息する深海性底生動物の餌料としても重要な役割を果たしています。近年の長期にわたる黒潮大蛇行や、暖水渦による親潮の流路変化のような現象(→参考サイト)は、その流路の下の海洋底に住む動物の餌環境を変えることで,深海生態系に甚大な影響を及ぼしている可能性があります。
一般に海洋堆積物では、有機物は堆積物粒子の表面に固く吸着した状態で安定して存在する性質があることが知られており(→参考文献)、このため堆積物の乾燥重量あたりの有機炭素濃度と比表面積(1グラム分の堆積物粒子の総表面積)の間に強い相関が現れます(図4左)。

譬えて言えば、堆積物の粒子の表面に有機物のすわる座席が決まった数だけあって、座席を取ることができた有機物だけが堆積物に長く残留して、席からはずれてしまった有機物は不安定となってやがて分解されてしまう、と考えることができます。
大型植物に由来する有機炭素にもこの法則性は当てはまり、比表面積の高い堆積物試料ほどその中に大型植物由来のDNAが安定して残留しやすいことが経験的に認識されています。しかし、実際に検出されるDNAの定量値と比表面積との相関は必ずしも高くありません(図4右)。これは、大型植物由来の有機物の供給がその生息地との位置関係と輸送経路に強く依存しているので、上の譬えでいえば、空いている座席をすべて埋めるだけの十分な大型植物由来の有機物が、必ずしもどこにでもやって来るとは限らないため、と思われます。
ではどのような条件があれば大型植物由来の有機物がやって来るのでしょうか?
生息地から離脱した大型植物断片の輸送を強く左右するのは、上述のガラモの気胞のような浮力維持機構があるかどうかです。アマモなどの海草類の葉には、光合成で作った酸素を根に送るための通気組織というものが発達しており、通気組織の中に蓄えられた酸素がちょうど浮き袋の役目を果たします。このため離脱した海草の葉もまた、長期間にわたって海面を漂流することができます。このような浮遊する植物断片の輸送と分配は、海洋表層を流れる海流や潮汐流に強く支配されているものと考えられます。
浮力維持機構を持たない植物の場合は、離脱後の植物体は比重が海水よりもやや大きいため速やかに沈んでしまいます。しかし植物体は、砂礫などに比べると比重が小さいため、波浪により容易に巻き上げられます。このため、波浪の営力が及ぶ深度(波浪限界深度,通常10〜50 m)より浅い海底には植物体はあまり残留しません。また陸棚域(水深200 mより浅い陸際の海域)では、内湾域を別にすると、海岸線と平行に流れる沿岸流の影響を受けます。このため植物体も流されやすく、概して集積されにくい傾向があります。経験的には、大型植物の藻体はしばしば陸棚の外縁部を超えて、大陸斜面(概ね水深500 mまたはそれ以深)の海底に集積する傾向があります(→参考文献)。堆積物からのDNAの検出頻度にもほぼこれと符合した分布傾向が見られます。特に日本周辺の至る所に発達する海底谷(→参考文献)は、植物片のような比重が低めの粒子の効率的な捕集と輸送・保存に寄与しているものと考えられます。釧路海底谷のような海溝まで達する大規模な海底谷がある場合、沿岸の大型植物由来の有機物が比較的短期間のうちに超深海まで輸送される可能性があります。
陸棚外縁以深の斜面、特に海底谷を経由しての粒子輸送を何が駆動しているのかは、今のところほとんど分かっていません。大陸斜面でも、水深が比較的浅い海底からは,コンブのような分解を受けやすい植物のDNAが検出される一方、大陸斜面の下部では海草類のような分解されにくい植物のDNAが選択的に検出される傾向が認められることから、浅部から深部へ時間とともに移動していることがうかがわれます。陸棚上を流れているゆっくりとした沿岸流(秒速10 cmのオーダー)は、陸棚を横切る海底谷にぶつかるとその中に流入して、海底谷内にゆっくりとした密度流(秒速数cmのオーダー)を発生させると言われています。植物片のような低比重の粒子や粘土鉱物などの極微粒子は、重力による拘束を受けにくいため、このような弱い密度流によって深海に運ばれている可能性があります。また密度躍層(→p.1の図1および④の説明参照)の界面には、内部波と呼ばれる振幅と周期の非常に大きな波動が恒常的に発生していることが知られており(→参考)、これによって引き起こされる流れが海底谷や大陸斜面に堆積している低比重粒子の輸送と再分配に関与している可能性が考えられます。しかしこうした物理過程の寄与の詳細については今後の研究に待つ必要があります。
最終更新日:2025年11月3日