ところで、最初のページの図1に示した5つの長期貯留リザーバーのいずれかに炭素が貯留されていることを実証することができれば、ブルーカーボンは大気中の二酸化炭素の吸収除去に貢献していると言ってよいのでしょうか?

 実はそう簡単には断定できません。

 たとえば図1のの経路によって、分解されるまでに1000年かかる難分解性有機炭素(RDOC)が大型海藻類から生成されていることが立証されたとします。そのことは、逆に言えば、1000年前に生息していた同種の大型海藻類が生成したRDOCが現在の海洋中で分解して、さかんにCO2を発生させているということを意味します。したがって、過去も含めた総体としての大型海藻類が、現在の海洋において正味でCO2を除去していると言えるためには、現在の海藻類が1000年前の海藻類よりもたくさんのRDOCを生成しているということが証明されなくてはなりません。しかし1000年前の海藻がどれほどのRDOCを生成していたかはもはや知りようがありません。

 同様に、の経路によって海洋深層に貯留される大型海藻類由来のCO2が再び表層を通して大気に戻って来るまで、例えば500年間深層に貯留されるとすると、500年前に大型海藻類によって海洋深層に隔離されたCO2が今さかんに大気に戻って来ているはずです。現在の海藻が500年前の海藻よりも多くの炭素を海洋深層に運んでいるということが立証されないと、海藻類が正味として大気中のCO2の除去に貢献しているとは主張できないことになります。

 このように、ブルーカーボンの長期貯留が立証されたとしても、過去を含めた総体としてのブルーカーボン生態系が現在において大気中CO2の除去に貢献しているかどうかは、500年、あるいは1000年といった長い時間スケールで見た時に、対象となるブルーカーボン生態系が徐々に広がっているのか、それとも狭まっているのか、あるいは定常的であるのかによって、まったく異なる結論になってしまうことがあります。

 この問題のより一般的な取り扱いに関しては参考文献を見てください。

 (註:堆積物中のプロセスが深く関与する経路①②⑤の場合は少し違った考え方が必要になります。上記の典拠文献では生物ポンプを対象にしているため、堆積後のプロセスは量的に無視できるとして議論からはずされていますが、本来のブルーカーボンについて考える場合は堆積物を無視することはできません。ここに生物ポンプとの重要な違いが存在します。)

追加性 (additionality)

 ブルーカーボン生態系がCO2の吸収を通して気候変動緩和に貢献していると推認される場合、所定の手続を経て、その生態系に炭素クレジットが賦与されるという制度があります。

 ブルーカーボン生態系自体がCO2を吸収しているかどうか、どのくらい吸収しているのかについては、上に述べたような不確定性があります。それに対して、ブルーカーボン生態系に対する炭素クレジットの算定に当たっては、生態系自体の機能としてのCO2吸収を算定の根拠とするのではなく、そこに人間が手を加えることによってCO2吸収量を増やしたり、自然ではCO2が放出されている場合にそれを削減する施策を講じたりした場合に、そうした施策によって新たに発生したCO2の吸収量の増加分(または放出量の減少分)に対して賦与されることになっています。この量のことを追加性(additionality)と呼びます(図5)。

図5.追加性の概念図。縦軸は、1 m2の生態系が生産する有機炭素のうち、図1に示した5つの長期貯留リザーバーのいずれかに隔離される炭素の合計量を表す。

 例えば、そのままであれば炭素の長期貯留が起こらない海面で新たに海藻養殖事業を開始した場合、図5Aのように、事業開始からの年数を経るごとに、養殖された海藻の生産した有機炭素の一部が長期貯留に回るため、養殖場の単位面積あたりの炭素貯留量が次第に増加していきます。海藻養殖事業を実施しなかった場合に期待される炭素貯留量(ベースライン:青線)に対して、養殖事業を行った際に期待される炭素貯留量(赤線)の増加分(追加性:緑矢印)が合理的に算定できる場合、この量に対して炭素クレジットが賦与されます。

 同様に、磯焼け現象などによって藻場が衰退しつつあり、放置すれば図5Bの青線のように生態系の炭素貯留量がじり貧となる場合、人為的に藻場の再生または造成を実施することによって生態系内の炭素貯留量を図5B赤線のように増加させることができるとします。この場合、両者の差に相当する炭素貯留の純増加分(緑矢印)が追加性として評価されることになります。

 前段の議論と比較すると分かるとおり、ある生態系に炭素クレジットが認証されたからと言って、必ずしもその生態系が正味としてCO2の吸収(炭素の長期貯留)に貢献しているとは限りません。しかし、人間がその生態系に投入した努力量に対する炭素収支の観点からの評価としては、追加性の概念は合理的で妥当なものと考えられます。

ライフサイクル・アセスメント

 それでは、ある施策が実施されている生態系において追加性が認証されているなら、その施策は大気中からのCO2の除去(または気候変動緩和)に対して意味のある貢献をしていると判断することができるのでしょうか?

 実はそれほど話は簡単ではありません。追加性の認証は、「施策」あるいは「事業」の実施を前提とするものだからです。

 施策あるいは事業が行われる場合、その実施のために多様な資材や労力の投入が必要となり、そのために少なからぬ量のCO2を発生させる結果になります。しかし追加性の算定に当たっては、通常、対象となる生態系の機能によって除去または放出されるCO2の量だけが算定対象となり、施策や事業の実施に伴って発生するCO2の量はカウントされません。

 生態系機能による外在的効果だけでなく、施策や事業の実施過程(原材料の調達、資機材の製造・運搬・設置、事業実施中の効果のモニタリング、保守点検作業、老朽化設備の廃棄と更新など)で内在的に排出されるCO2の量をすべて含めて、当該の施策や事業によるCO2の収支をトータルで評価することを、ライフサイクル・アセスメント(LCA)と言います。ブルーカーボン生態系に対する施策が気候変動緩和の観点から真に意義あるものかどうかを判別するには、厳密なLCAを適用して収支を評価する必要があります。

 しかしながら事業に内在的なCO2放出過程は極めて多岐にわたる上に条件による変動が大きく、現実的にはLCAを十分に説得力のある水準で実施することは困難です。このため事業者や研究者は、施策や事業の外的効果としての生態系機能によるCO2隔離だけを、その限定を明示することなく宣揚する傾向があります。これは、ブルーカーボンに限らず、CO2分離回収技術一般(CCS; 液体CO2の地中隔離や海洋アルカリ化など)の研究においても等しく当てはまる懸念事項であり、特にその研究が社会実装を想定したものである場合は深刻な倫理上の問題につながる可能性があります。

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最終更新日:2025年11月30日