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懸濁態有機物の窒素安定同位体比
 懸濁態有機窒素(PON)は海水中に固形有機物として存在する窒素の総称であり、植物プランクトン、動物プランクトン、バクテリアなどの微生物、およびそれらの死骸や分泌物、排泄物、老廃物を含む。しかし外洋域では通常、PON の大部分は植物プランクトンとそれに由来するデトリタスであり、その窒素安定同位体比は、主として次の要因に規定されている [1]。
1.植物プランクトンに供給される硝酸の δ15N
2.植物プランクトンによる硝酸の取込(同化的還元)に伴う同位体効果
3.有光層内における PON の平均滞留時間
4.新生産と再生生産の比率(f -ratio)
5.窒素固定藻類の一次生産への寄与
6.PON の分解に伴う同位体効果
 有光層において一次生産の窒素要求が、有光層以深から供給される硝酸によって主にまかなわれている場合(高緯度海域や湧昇域)、PON の δ15N は硝酸の取込に伴う同位体効果に規定される。すなわち PON の δ15N は硝酸よりも低く、また硝酸の利用率 u が小さいほど PON の δ15N は低くなる(図8)[2]。
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 これは同位体分別に関するレイリーの一次反応モデルに当て嵌めて考察される(モデル2)。硝酸の同位体比に関するモデルと同様、PON の δ15N のモデルも硝酸がはじめに一度だけ与えられると仮定する閉鎖系モデルと、絶えず硝酸が供給されているとする開放定常系のモデルとに分かれる。さらに閉鎖系モデルでは、生産された PON は速やかに沈降などによって失われ、有光層に留まっているのは最近の短い時間に生産された PON だけである(PON の滞留時間が無限小)と仮定する瞬間値モデルと、はじめに硝酸が供給されてから現在までに生産された PON がすべて有光層内に留まっている(PON の滞留時間が無限大)と仮定する累積値モデルとの両極端に分けられる。これら3つのモデルはいずれも極端なケースであって、自然の生態系はこれらの中間型もしくは混合型であると考えられる。
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 密度成層の安定している海域(湧昇のない中・低緯度海域)では、有光層における一次生産の窒素要求のうちで、有光層内でリサイクルされた窒素(主にアンモニアと尿素)によってまかなわれる分(再生生産)の比率が相対的に高まる。再生生産によって生産される PON は、下層から供給される硝酸に依存する生産(新生産)による PON に比べて δ15N 値が低いため、こうした海域の有光層における PON の δ15N は新生産と再生生産の寄与率によって規定されていると考えられている(図9;成層強度が強いほど再生生産の比率が高まると解釈する)[3]。
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 さらに、有光層における窒素の供給が、他の栄養元素の供給に比較して著しく乏しい場合は、一次生産の窒素要求が窒素固定に依存するようになる。熱帯域大西洋や南シナ海、東シナ海などではこのような状況が頻繁に見られ(図10左)、窒素固定に依存して生産された PON の δ15N は -2 〜 0‰ という特徴的な値を取ることが知られている。これは、窒素固定系における同位体効果が小さいため、もとの大気窒素の同位体比が反映されるためである [4]。
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 有光層直下の PON は、有光層の PON に比べて δ15N が高くなっているという例が多い(図10、次のページの図11)[5]。この現象は一般には、次の沈降粒子の項で述べる同位体比の変動要因(分解に伴う変化、粒子の選択的沈降など)によって同様に説明できると考えられる。
 これに対して、中層や深層の海水は、その真上の有光層の海水とは水塊が異なり、それぞれ別の起源を持っていることが多い。このため、中層や深層の PON の同位体比を解釈するためには、その海水の履歴を考慮に入れる必要がある [4]。有機物が好気的に分解される場合、分解に伴って生産される分解者(主にバクテリア)の菌体の同位体比はもとの有機物よりも高くなることが多い。中層・深層の海水中では、その水塊が有光層を離脱して沈み込んでから時間が経過するほど、懸濁物中に占める分解者の比率が高まると考えられることから、履歴の長さに伴って PON の δ15N が上昇するというモデルが立てられる。実際には、直上の有光層からの沈降粒子による PON の新規供給がこれに加わるため、δ15N の決定機構は複雑である。
[1] Wada, E. and Hattori, A.: Geochim. Cosmochim. Acta, 40: 249 (1976); Wu, J. et al.: Deep-Sea Res. I 44: 287 (1997); Waser, N.A.D. et al.: Deep-Sea Res. I 47: 1207 (2000); Altabet, M.A. and Francois, R.: Deep-Sea Res. II 48: 4247 (2001).
[2] Altabet, M.A. and Francois, R.: Global Biogeochem. Cycles, 8: 103 (1994).
[3] Mino, Y. et al.: Global Biogeochem. Cycles, 16, doi:10.1029/2001GB001635 (2002).
[4] Carpenter, E.J. et al.: Deep-Sea Res. I 44: 27 (1997).
[5] Saino, T. and Hattori, A.: Deep-Sea Res. 34: 807 (1987); Altabet, M.A.: Deep-Sea Res. 35: 535 (1988).

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Toshihiro Miyajima, Atmosphere and Ocean Research Institute, The University of Tokyo
Last modified: 1 June 2004